高崎神社

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保守的精神の昂揚を日本独自の方途を求めて

 保守とは、伝統的精神を尊重し、これを継承しようとすることである。即ち、往古より、世々の祖先等によって培われてきた、わが国の特質を尊重し、この特質に立脚して、展開を図っていこうとすることなのである。
 自民党の新総裁に選ばれた谷垣禎一氏は、「保守政党としての大道を歩んでいく」と、又「自民党は、保守の基本に立ち返るべきである」と述べている。リベラル派といわれてきた谷垣氏であるが、ここに至って、保守主義を強調することとなった。
 谷垣氏と共に、自民党総裁選で競った河野太郎氏は、「復古主義への回帰はあり得ない」と述べている。谷垣氏が過去を肯定するのに対して、河野氏は否定しているとも言える。河野氏は、靖国神社に代わる国立追悼施設の設置を提言しているが、谷垣氏は、これに反対している。
 民主党顧問・渡部恒三氏が、「この度の政権交代の最大の功労者は小泉純一郎氏である」と述べていたが、この小泉構造改革に、河野氏が肯定的であるのに対して、谷垣氏はどちらかというと否定的である。小泉構造改革は、市場原理主義をもととする米国的手法で行った荒療治であり、保守に反するやりかたであった。この荒療治に対して、積もりに積もった鬱憤が爆発したのが、今回の衆議院選の結果であったとも言える。小泉氏は、自身を非情であると語っていたが、中曽根改造内閣の官房長官であった後藤田正晴氏が生前、「情のなり政治は結局だめになる」と述べていた。後藤田氏の予言は的中したのである。
 保守の基本に立ち返るべきか否か、国立追悼施設の設置、小泉路線等に関する谷垣氏と河野氏の発言を比較すると、谷垣氏の見解が保守的であるのに対して、河野氏は、非保守的である。又、谷垣氏が一丸となっての全員野球を目指したのに対して、河野氏は、今迄の幹部を排除した世代交代を主張したが、これも非保守的な発想である。
 鳩山総理は、国立追悼施設の設置を具体化する旨を述べたが、旧社会党出身の千葉法相と、社民党から入閣した福島氏がコンビになって、夫婦別姓制を導入する民法改正案を来年の通常国会へ提出すべく意欲をもやしているのに対して、「まだその段階まで至っていない」とブレーキをかけた。鳩山氏自身の保守性と、非保守性が交錯している現れである。いや、民主自体に保守的志向性と、非保守的志向性とが交錯している現れであるとも言える。
 民主には、非保守的要素が多分に内在している。非保守の河野氏では、民主の非保守層と、その志向性が重複していまうことになる。谷垣氏の保守の大道、即ち本格的保守政党を目指すことによって、自民と民主との違いは鮮明となり、二大政党存立の意義が明確になる。
 自民は、似非保守を隔離し純化して、本格的保守政党に脱皮するならば、その再生は可能となり、民主は、イデオロギーの異なる非保守層を、保守的に同化し、保守としてのイメージが定着するならば、政権の持続が可能となるのではなかろうか。
 今の日本は、米国と中国を軸とする巨大な渦の狭間で喘いでいる。そこから脱却しなければ、前途は開けない。それには、今迄の模倣・追従の手法ではなく、新たな方途―日本独自の方途を見出さなければならない。
 伝統的精神を尊重し、これを継承しようとする保守は、悠久の往古より積み重ねられてきた先人等の叡智に立脚し、この叡智を応用して、この国の方途を探ることが可能である。それに対して、戦後、僅か六十四年前を起点とする非保守は、余りにも浅薄であった、非保守的発想から、この国の方途を描き出すことは不可能に均しい。今は、何よりも、保守的精神の昂揚が待望される。
 日本には、先人等の叡智の集積である個性豊かな伝統・文化がある。この特質を尊重する保守的精神が活用されることによって、日本独自の方途が編み出される可能性を期待するのである。

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