高崎神社

2008年09月アーカイブ

北京五輪アトラクション考 その2

 北京五輪開会式冒頭の孔子の一節の詠唱には、中国が誇る悠久の歴史と現代中国を接続させることによって、国民を鼓舞し、新時代を開拓しようとする意気込みが感じられた。それに対して我が国は、昭和二十年の敗戦時を起点とする風潮から脱却しきれないでいる。
 昭和二十年の敗戦を契機として、左翼の文化人、左翼のメディアは、彼の大戦を糾弾する余り、戦中、戦前のすべての動向を否定し、更に、これに連なる過去の時代をも悪しき時代と決め付けた。同時に占領軍の政策と相俟って、憲法をはじめとする諸制度が新しくなった。彼等は、我が国を昭和二十年の敗戦により、新しく建国された国として位置づけたのである。
 我が国の往古より継承される歴史、伝統、文化を、昭和二十年を境として切断することによって、新しい国が築けたと妄信したのである。そして、この風潮が未だに尾を引いているところに、我が国の危さがあると言える。
 首相当時の森元首相の「神の国発言」に、左翼のメディアは執拗に食いさがった。「神の国発言」は、日本神話を論拠としており、日本神話に対する相応の知識があり、日本神話を太古の祖先等の大らかな心の集約として理解するならば、ごく当然の発言として肯定されるべきなのだ。昭和二十年を日本国の建国の起点と企てる左翼のメディアには、彼等の論理の妨げとなる日本神話を排除しなければならない必要性があったのだ。
 明治以来、我が国は欧米を模倣追随し、戦後は、これに更に拍車が掛かった。我が国の近代化を図るために、科学技術の模倣は、それなりに大きな成果をあげることとなったが、いつの間にか、精神的にも模倣追随を専らにする習癖に落ち入ってしまった。この長年にわたる模倣追随の習癖が、日本人に日本人としての主体性を発揮させることを忘却させてしまった。物事の良し悪しを、日本人としての尺度で見極めることを不可能にしてしまったとも言える。
 我が国は、島国という孤高な環境にあって、独自の伝統文化が芽生え育まれました。この日本固有の伝統文化に基づく主体性を発揮し、国際社会に反映させることは、今のグローバル化、ボーダレス化して、類似化し、同化していく傾向にある世界に、新風を吹き込むことともなるのである。
 私たちの遠い昔の祖先等、太古の人等の心の集約とも言える日本神話、この日本神話の精神を源として、この国土の孤高な環境の中で芽生え育まれた日本固有の伝統文化、この悠久の伝統文化が継承されていることを、日本人は世界に向って誇りとするべきである。悠久の昔と、現代日本を結合させることによって、日本回帰の気運が高まることが期待される。

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