高崎神社

2008年02月アーカイブ

現代の結婚式事情 〜日本型感性と新型感性〜

『東京都練馬区に住む会社員の男性(31)は2年ほど前、実家に近い愛知県小牧市の「大聖堂」で式を挙げた。パリのノートルダム大聖堂に似た外観で尖塔は高さ40メートル。外国人牧師に導かれて誓いの言葉を交わした直後、日本人聖歌隊が力いっぱい英語のゴスペルを歌い出したとき、どうしようもない違和感に襲われた。「これでは僕は大がかりなコントの出演者みたい」教会は、あくまでも新婦のドレス姿を美しく見せるための『器』。「新郎の僕は無宗教。作り込みすぎとしか思えず、笑いを押し殺すのに苦労しました」』


 上記は、昨年12月30日付の朝日新聞が、愛知県小牧市の結婚式用の「大聖堂」で式を挙げた男性の感想をまとめた記事である。06年5月時点でキリスト教式が可能な「独立型の結婚式教会」が全国に585件以上あるとのこと。この男性のように、「どうしようもない違和感に襲われた」「笑いを押し殺すのに苦労した」施設なら、これ程までに出現する筈がない。教会は、あくまでも新婦のドレス姿を美しく見せるための『器』としても納得しかねる。建築評論家の五十嵐氏の「素材の真正さや『らしさ』のみを重視する虚構の商業空間。日本人の宗教観を物語る」とする説には、「新郎の僕は無宗教」と語っているように頷けるが、日本人の意識に大きな変化が生じてきたところに主因があると言える。
 今から20余年前に、有名な芸能人がキリスト教式のチャペルで式を挙げた。これは芸能界に限られる特殊現象であると大多数の人々は思った筈である。ところが、それから10余年を経て、キリスト教式のチャペルでの挙式が一般化することとなった。人々の意識に大きな変化が生じたのである。
 先の郵政民営化を争点として行われた衆議院選において、当時の自民党執行部は、先ずはじめに確か東京10区にマスメディアに刺客といわれる人物を押し立てた。中曽根改造内閣の官房長官であった後藤田正晴氏は、「このような遣り方は、極悪非道であり、情のない政治は結局だめになる」と語っていた。然るに、この時、昨日までの同志に刺客とは、遣り過ぎであると言った世論の反発は起こらなかった。人々の意識に大きな変化が生じたのである。この意識の変化によって、刺客は容認されると見透かされていたとも言えるのである。
 平成になっての今迄を大まかに言えば、平成一桁の時代は、バブルが昂じて、これが砕けて混乱を重ねた経済的バブル時代。平成10年代は、この後始末に混迷を繰り返し、市場原理主義にもとづく米国的手法による荒療治が駆使されて、世情を殺伐とさせた精神的バブル時代、多数の刺客を押し立てた先の衆議院選は、この時代の風潮を象徴する出来事とも言えるのである。
 結婚式用の大聖堂での挙式を上げた男性は、「違和感」を感じたと語っている。「都会の生活に違和感を覚える」というように、この大聖堂の空間、儀式が、この男性の今迄の生活環境の中で培われた感性からすれば異質な存在に映じたことになる。日本固有の色彩の強い生活環境に馴染み、これに同化する営みの中から、自然発生的にこの男性には、日本的感性、即ち日本型感性が身に付いたと言える。
 これに対して、この空間と儀式に違和感ではなく、共感し、感動する人々が多数派として存在する。この人々は、今のグローバル化、ボーダーレス化された国際化時代、その流れに沿って日本型感性に対する新型感性を身に付けたとも言える。
 世界には、伝統文化を異にする国々が存在する。各国には各国の、各民族には各民族の独自の伝統文化をもととする特質があり、この特質を踏まえて、これを国際社会に反映させることによって、小国といえども大国と共に、国際社会に伍して行くことが可能となると言える。今の時代こそ、我が国の特質にもとづいた日本的個性を発揮させることが、何よりも必要となっており、日本型感性の持主の台頭が期待される。

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