高崎神社

2008年01月アーカイブ

神道は原初的信仰が源、その現代的可能性について

 新年初頭には、夥しい数の人々が、神社、仏閣に参拝する。マス・メディアが周期的に行う宗教に対する世論調査によれば、その多数が特定の宗教を信仰していないと回答している。とすれば、この夥しい数の人々の多くは、平素は宗教とは無縁の人々ということになる。
 この現象を分析し、解説することは難しいが、大雑把に言えることは、現代人の宗教に対する関心は希薄ではあるが、宗教的動機はもっているということである。
 現代人は、既成の宗教の上辺だけを見て判断しているきらいがあるが、その内奥まで把握することが出来たなら、現代人の宗教に対する認識は異なってくる筈である。然し、今の情報化社会、情報の洪水に喘ぐ現代人に、それを期待することは至難である。
 そこで、宗教という現象を分かり易く説明することが必要となってくる。
 縄文人が、死者を穴を掘って埋め、そこへ花を手向ける。これを宗教的現象の最も原初的パターンであるとみる見方がある。かつての完璧なまでの共産主義国家、ソ連、中国においては、宗教を否定し、その活動は禁止されていたが、絶大な独裁的指導者、スターリン、毛沢東が死去すると、その遺体は崇高な殿堂に安置され、多数の国民が訪れて表敬していた。彼等は、既成の宗教―観念化された宗教は否定したが、縄文の形態に類似した宗教的行為、即ち原初的宗教行為を踏襲していたのである。
 神道は、この原初的形態を源として展開されてきた広い意味での宗教であり、この原初的素朴な信仰にこそ、現代人の宗教に対する関心を高める糸口が秘められていると言えるのである。
 ノーベル賞候補にもなる著名な科学者が、その研究対象の仕組みについて、その仕組みは人知では計り知れない不可思議な法則によって編みこまれており、これを摂理する霊的存在を認めざるを得ないと、そして、この霊的存在とは、親の親、又その親の親であり、大本の親のような存在であると観じている旨のことを述べていた。
 神道は縄文の信仰を骨子とし、祖先崇拝の信仰を一つの柱としていると学問的に説明されるように、祖先を祖神と、即ち神として崇めている。
 私たちの遠い遠い大昔の祖先等、太古の人達の描いた神と、現代の科学者が、その研究過程を通して辿り着いた霊的存在とが、同一の神、即ち祖神なのである。この太古の人達の抱いた素朴な信仰にこそ、時代を超越した普遍性が備わっていたとも言えるのである。
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