高崎神社

未曾有の大惨事に直面して 〜日本再生の端緒となるか〜

 東北三県を主として、東日本を襲った大地震、続いて夢想だにしない巨大津波の来襲、罹災地は言語に絶する惨状を呈し、更には福島第一原発の爆発、原発の爆発は、これからいかに推移するか予断は許されません。我が国の行く手、まさに危うき観となりました。
 古くからのたとえに、禍を転じて福となす。と言われます。この未曾有の艱難を試練として、この試練に耐えることが、日本再生の端緒となるように切願いたします。この大災害を試練とすることによって、日本再生の端緒が開けるのではないかと、期待するのであります。
 明治中期の論客として、その名を馳せた山路愛山が、徳富蘇峰が主宰する総合雑誌「国民之友」で、「日本人は遠い昔から、美しくてやさしい自然のふところにはぐくまれて、美しくやさしい人であるように養育されてきた。」との旨のことを、述べております。
 未曾有の大災害を被りながら、パニックや略奪もなく秩序が保たれていると、世界各国のメディアは称賛しました。又、平素は家庭においても、地域社会にあっても、睨み合ったり、啀み合ったりしたこともあったであろう人達が、互に助け合い、支え合って相互扶助の精神を発揮しました。山路愛山のいう、美しくやさしい自然にはぐくまれた、美しくやさしい日本人の心が鼓動しはじめたのであります。
 戦後、経済成長と相俟って、急速に普及した個人主義は、利己主義に落ち入り、家族の、親子の、地域社会の、国民としての絆は、不確かなものとなりました。
 又、戦後はアメリカナイズ一辺倒となり、アングロサクソン的発想であり、日本人の民族性には背理する筈である市場原理主義が跋巵することとなり、世情は殺伐となりました。
 今年一月十九日、県若鳶会の創立五十周年の奉告祭を執り行いました。祝詞で、「大江戸八百八町なる人の棲家を消火の手段で守りつつ、正義に根差す男意気を以て、義理人情を尊びし、江戸の消火の流れを汲む鳶なれば、今の世間に義理人情の心をば、甦らす魁となりて・・・」と、江戸の消火の流れを汲むのであるならば、江戸の文化でもある義理人情の心をば、今の世間に甦らせてもらえないか。と述べたのであります。
 江戸の文化でもある義理人情の心が、今の世間に受け継がれていたならば、家族、親子、地域社会、日本人としての絆は、確としていたでありましょう。弱肉強食の市場原理主義は罷り通らなかったでありましょう。
 戦後、占領軍の政策と相俟って、失ってしまったもの、捨ててしまったものを取り戻すことによって、戦後を脱した新しい文化が形成されるのであります。
 大地震、巨大津波、原発の爆発がもたらす艱難辛苦に直面して、ただ嘆き狼狽えるばかりではなく、この試練をバネにして進化して行くことが、我が国の伝統的な在り方であると言えます。世の中の進化は、生存競争とか、闘いによってなされるものではなく、自発的に助け合い、支え合う本来の美しくやさしい人間性によって、進められるべきなのであります。
 この大災害を契機として、戦後の悪弊から脱却し、美しくやさしい自然に育てられた、日本人本来の美しくやさしい心が、日本中に伝播したならば、戦後は災後(大災害の後)によって一新し、日本再生の端緒が開かれると、期待するのであります。
 この大災害で犠牲となられた数多の方々の御冥福をひたすらお祈り申し上げます。犠牲となられた方々は、遺されたご家族のこと、又ご子孫の行く先が何よりもご心配のことでありましょう。国民が一体となって、被災地の復興を推し進めることが、この念に応えることになります。

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保守的精神の昂揚を日本独自の方途を求めて

 保守とは、伝統的精神を尊重し、これを継承しようとすることである。即ち、往古より、世々の祖先等によって培われてきた、わが国の特質を尊重し、この特質に立脚して、展開を図っていこうとすることなのである。
 自民党の新総裁に選ばれた谷垣禎一氏は、「保守政党としての大道を歩んでいく」と、又「自民党は、保守の基本に立ち返るべきである」と述べている。リベラル派といわれてきた谷垣氏であるが、ここに至って、保守主義を強調することとなった。
 谷垣氏と共に、自民党総裁選で競った河野太郎氏は、「復古主義への回帰はあり得ない」と述べている。谷垣氏が過去を肯定するのに対して、河野氏は否定しているとも言える。河野氏は、靖国神社に代わる国立追悼施設の設置を提言しているが、谷垣氏は、これに反対している。
 民主党顧問・渡部恒三氏が、「この度の政権交代の最大の功労者は小泉純一郎氏である」と述べていたが、この小泉構造改革に、河野氏が肯定的であるのに対して、谷垣氏はどちらかというと否定的である。小泉構造改革は、市場原理主義をもととする米国的手法で行った荒療治であり、保守に反するやりかたであった。この荒療治に対して、積もりに積もった鬱憤が爆発したのが、今回の衆議院選の結果であったとも言える。小泉氏は、自身を非情であると語っていたが、中曽根改造内閣の官房長官であった後藤田正晴氏が生前、「情のなり政治は結局だめになる」と述べていた。後藤田氏の予言は的中したのである。
 保守の基本に立ち返るべきか否か、国立追悼施設の設置、小泉路線等に関する谷垣氏と河野氏の発言を比較すると、谷垣氏の見解が保守的であるのに対して、河野氏は、非保守的である。又、谷垣氏が一丸となっての全員野球を目指したのに対して、河野氏は、今迄の幹部を排除した世代交代を主張したが、これも非保守的な発想である。
 鳩山総理は、国立追悼施設の設置を具体化する旨を述べたが、旧社会党出身の千葉法相と、社民党から入閣した福島氏がコンビになって、夫婦別姓制を導入する民法改正案を来年の通常国会へ提出すべく意欲をもやしているのに対して、「まだその段階まで至っていない」とブレーキをかけた。鳩山氏自身の保守性と、非保守性が交錯している現れである。いや、民主自体に保守的志向性と、非保守的志向性とが交錯している現れであるとも言える。
 民主には、非保守的要素が多分に内在している。非保守の河野氏では、民主の非保守層と、その志向性が重複していまうことになる。谷垣氏の保守の大道、即ち本格的保守政党を目指すことによって、自民と民主との違いは鮮明となり、二大政党存立の意義が明確になる。
 自民は、似非保守を隔離し純化して、本格的保守政党に脱皮するならば、その再生は可能となり、民主は、イデオロギーの異なる非保守層を、保守的に同化し、保守としてのイメージが定着するならば、政権の持続が可能となるのではなかろうか。
 今の日本は、米国と中国を軸とする巨大な渦の狭間で喘いでいる。そこから脱却しなければ、前途は開けない。それには、今迄の模倣・追従の手法ではなく、新たな方途―日本独自の方途を見出さなければならない。
 伝統的精神を尊重し、これを継承しようとする保守は、悠久の往古より積み重ねられてきた先人等の叡智に立脚し、この叡智を応用して、この国の方途を探ることが可能である。それに対して、戦後、僅か六十四年前を起点とする非保守は、余りにも浅薄であった、非保守的発想から、この国の方途を描き出すことは不可能に均しい。今は、何よりも、保守的精神の昂揚が待望される。
 日本には、先人等の叡智の集積である個性豊かな伝統・文化がある。この特質を尊重する保守的精神が活用されることによって、日本独自の方途が編み出される可能性を期待するのである。

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複雑怪奇な現象

 米国のマネーゲームが弾けて、米国は経済危機となり、その衝撃が世界に走り、世界中の経済が混乱と低迷を重ねて、大不況に陥ってしまった。
 マネーゲームが弾ける前の実体経済に、何ら異変がなかったとすれば、なんと不可思議な現象であることか。今の世界経済を主導するアングロ・サクソン流の発想が、複雑怪奇な現象を生み出したとも言える。
 今は商工業を主体としているが、それ以前の農業を主体としていた時代、春の祭りは、五穀豊穣を祈願する行事であり、秋の祭りは、これをいやび祝う行事であった。五穀が豊穣なれば、すべては万々歳であり、何も言うことはなかったのである。何と、分かり易くおおらかであったことか。
 経済的には貧しくも、おおらかな生き方をした先人等と、経済的には豊かでも、複雑怪奇な現象に翻弄される現代人と、果たして何方が幸せか。きっと、現代人は郷愁にかられる筈である。

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オバマ大統領の誕生

 確か昨年の三月のこと、群馬正論懇話会に講師として、日本将棋連盟会長の米長邦雄氏が来県された。講師と幹事との昼食の席で、勝負師としての先生の勘では、今回の米国大統領選では、どちらが勝つでしょうか、と訊ねますと、オバマでしょうね、と答えられた。
 しかし、いざとなったら、白人としての意識が昂じて、マケインとなる可能性があるのではないでしょうか。と返しますと、マケインはマケですよ、とのこと。その予想は的中する結果となった。
 リーマン・ブラザーズの破綻を引き金にして、米国は経済危機に陥った。米国民は、この未曾有の経済危機に直面して、危機感を募らせることとなり、この危機的状況から米国が脱却することが最大の眼目となった筈である。そこで、出来上がった既存の政治家であるマケイン氏よりも、未知の政治家であるオバマ氏の可能性に賭けたのである。即ち、オバマ氏の未知の可能性に賭けざるを得なくなったのである。白人と黒人とを区分する余裕は消え失せたのである。米国の未曾有の経済危機がオバマ大統領を出現させることとなったとも言えるのである。

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源氏物語千年紀に因みて

 紫式部は、完璧なプロットと精微な心理的手法により、世界最初の長編小説である「源氏物語」を誕生させた。虚構の世界を現実の世界の如くなし、人の心の陰影が写実的に描写され、理想と光明が苦悶と憂愁に推移する「もののあはれ」の世界を展開させた。
 この「源氏物語」が英訳されると、世界の文壇、学界に大きな反響をよんだ。近代比較文学の巨匠に、これは精神分析の小説であり、紫式部はフロイトよりも、ずっと分析的であると、言わしめている。
 このフロイトよりも分析的であると言われる、紫式部の分析力は、パッシブな感性によって発揮されていると言える。アクティブな感性では、人の心の深奥を洞察し、これを分析的な手法で精微に描写することは、不得意とする筈である。
 女性であり、女性特有のパッシブな遺伝子を有する紫式部により、このパッシブな感性が十二分に発揮させられて、日本古典の最高峰といわれる「源氏物語」は、生まれたのである。
 枕草子の作者である清少納言は、澄んだ鋭敏な目で周囲を観察して、平凡なる中に美を発見し、人生の断章を把握している。清少納言も、パッシブな女性特有の感性を発揮させて枕草子をものにしているのである。
 俗に言う文明化の過程において、女性はアクティブ化し、現代では、これを進歩と位置づけている。しかし、女性のアクティブ化が進めば進むほど、女性からパッシブな感性は減退し、女性特有の感性が十二分に発揮されることは不可能となり、現代的紫式部、清少納言の再現は絶望的となる。これは、人類にとって、進歩ではなく退歩であり、文明化ではなく非文明化なのである。

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小室哲哉氏と中島みゆき氏・松任谷由実氏の相違点

 作曲家、演奏家として、一世を風靡した小室哲哉氏が詐欺罪容疑で逮捕されることとなった。小室氏は確か、昭和六十三年のNHK紅白歌合戦に、初めて登場し、クローズアップされた。昭和六十三年は、バブル経済の絶頂期であり、バブル経済の波のなかに浮上した象徴的な人物であったとも言える。
 小室氏は、平成六年から十一年にかけて大躍進して、小室ブームを巻き起こした。平成六年と言えば、バブル経済に綻びが生じ、やがてバブルは弾けて、我が国は、混乱と混迷を重ねることとなり、平成九年に、山一証券と北海道拓殖銀行が、十年には日本長期信用銀行等が相次いで破綻した。
 昭和六十一年から平成三年までを、経済的バブル期とすれば、その後もバブル的風潮は継続して、平成六・七年頃から精神的バブル期に移行したとも観じられる。平成六年から十一年にかけての小室ブームは、精神的バブル期を象徴した現象であったとも言える。
 小室氏の破滅は、バブルに踊り、バブルに合わせて躍進した体質、このバブル的体質から脱皮できなかったことに、一因があったのではなかろうか。時代の流れに沿って、バブル的手法に替わる、新たな手法を編み出せなかったのである。
 昨年8月28日付の産経新聞に、伊藤雅光・国立国語研究所文献情報グループ長の調査内容が掲載された。それによれば、日本を代表する女性シンガー・ソングライターの中島みゆき氏と、松任谷由実氏の歌詞に出てくる外国語の割合が、70年代のデビューから90年代後半までは増加し、2000年即ち平成十二年以降は、減少に転じたとのことである。
 伊藤氏は、「二人は英語やカタカナを多用し、時代を先取りして多くのヒット曲を生んだが、外国語の新鮮さが薄れ、日本語への回帰現象が起きているのではないか」と分析している。伊藤氏は、二人の外国語から日本語へのシフトを、日本語回帰現象と分析しているが、日本回帰現象が、日本語回帰現象をもたらすこととなったとも分析できる。
 二人は、平成十二年を境として、外国語から日本語へシフトしている。平成十二年を境にして、人々の意識に、何か大きな変化が生じてきた。それは、意識的、論理的にではなく、無意識のうちに、人々の心の深層に変化が生じてきたのである。
 日本を代表する女性シンガー・ソングライターとしてのポジションを維持するためには、何時も時代の動向を細心の注意を払って観察し、時代を先取りして、時代の尖端を切らなければならない。この二人の宿命が、その閃きによって、日本回帰の時代の息吹をキャッチしたのである。
 今、演歌がヒットして、ブームになっている。演歌は100%日本語である。二人の外国語から日本語へのシフトは、八年先の時流を、その閃きによって、見事に読み取っていたとも言えるのである。
 それに対して、バブルに染まった小室氏には、バブル後の時代の息吹が把握できなかったとも言える。小室氏も一時、日本をテーマとする歌謡にも挑んだが、結局、物にならなかった。小室氏の今でも変わらないバブル的体質が災いしたのである。

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米国発の金融危機に遭遇して模倣追随の習癖からの脱却を

 米国発の金融危機は、東京市場はもとより、欧州市場、アジア市場にも波及し、連鎖的に株価は急落を続け、100年に一度と例えられる程の国際的な金融危機に陥った。
 金融派生商品を編み出し、高収益を上げた米国のマネーゲームが、普通にみれば、危険度が極めて高い筈である低所得者不動産ローンを商品化し、国際的に流通させた。この不動産ローンに巨額の焦げ付きが発生し、破綻することとなったのが、今回の国際的金融危機を招来した震源であるとされる。
 これは、短期的に高収益を確保するために、ハイリスクでもハイリターンを求めた米国的手法の挫折、いやハイリスクでもハイリターンを追求しなければならない今の米国の体質を物語っていると言える。
 米国の民主党大統領候補オバマ氏が、規制を緩和すれば、経済が拡大するとしたブッシュ政権の誤りが、今の混乱を招いた旨のことを述べていた。今回の国際的金融危機の引き金となった金融派生商品も、規制緩和の産物とも見られる。
 小泉政権のとき、我が国に於ても、米国に見倣い規制緩和が積極的に推し進められた。この結果、雇用、運輸、建築等に於て、その歪みが如実に露呈してきた。
 明治以来、我が国は欧米を模倣追随して近代化を図ってきた。我が国を近代国家とするための科学技術の模倣は、大きな成果を上げた。
 ところが、戦後は、この模倣追随の習癖に、更に拍車が掛かり、精神的にも欧米を専ら模倣追随する悪癖に落ち入ってしまった。政治、経済はもとより、人の心にまでアメリカナイズは進行し、日本人は、日本人としての主体性を発揮することを忘却してしまい、又、日本人は、日本人としての尺度で物事を推しはかることが出来なくなってしまったとも言える。
 弱肉強食の市場原理主義は、往古より神道を源泉として継承される理念、即ち、共存共栄を目指す日本人の民族性には背理している筈であるが、この手法が大手を振って罷り通っているのが現状である。先月中旬、米大手証券会社リーマンブラザーズの破綻が報じられると、同時に大勢の社員が、私物を段ボール箱に入れて、会社を去って行く姿が放映された。日本人としての感性では考えられない光景であり、このような土壌の中から市場原理主義は編み出されたと言える。
 日本、ドイツ型資本主義が、社員第一主義を旨とするのに対して、アングロサクソン系の米国、英国型は株主第一主義であって、社員の会社に対する帰属意識は、極めて希薄になってしまうのである。
 今回の米国発の世界的金融危機は、米国型の手法の挫折を示唆している。日本人は今迄の呪縛から解けて、神道を源泉とする共存共栄の理念を再認識し、この国土を日本人としての尺度で物事を推しはかり、日本人としての主体性が発揮できる、穏やかで、潤いのある国としなければならないのである。
 

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北京五輪アトラクション考 その2

 北京五輪開会式冒頭の孔子の一節の詠唱には、中国が誇る悠久の歴史と現代中国を接続させることによって、国民を鼓舞し、新時代を開拓しようとする意気込みが感じられた。それに対して我が国は、昭和二十年の敗戦時を起点とする風潮から脱却しきれないでいる。
 昭和二十年の敗戦を契機として、左翼の文化人、左翼のメディアは、彼の大戦を糾弾する余り、戦中、戦前のすべての動向を否定し、更に、これに連なる過去の時代をも悪しき時代と決め付けた。同時に占領軍の政策と相俟って、憲法をはじめとする諸制度が新しくなった。彼等は、我が国を昭和二十年の敗戦により、新しく建国された国として位置づけたのである。
 我が国の往古より継承される歴史、伝統、文化を、昭和二十年を境として切断することによって、新しい国が築けたと妄信したのである。そして、この風潮が未だに尾を引いているところに、我が国の危さがあると言える。
 首相当時の森元首相の「神の国発言」に、左翼のメディアは執拗に食いさがった。「神の国発言」は、日本神話を論拠としており、日本神話に対する相応の知識があり、日本神話を太古の祖先等の大らかな心の集約として理解するならば、ごく当然の発言として肯定されるべきなのだ。昭和二十年を日本国の建国の起点と企てる左翼のメディアには、彼等の論理の妨げとなる日本神話を排除しなければならない必要性があったのだ。
 明治以来、我が国は欧米を模倣追随し、戦後は、これに更に拍車が掛かった。我が国の近代化を図るために、科学技術の模倣は、それなりに大きな成果をあげることとなったが、いつの間にか、精神的にも模倣追随を専らにする習癖に落ち入ってしまった。この長年にわたる模倣追随の習癖が、日本人に日本人としての主体性を発揮させることを忘却させてしまった。物事の良し悪しを、日本人としての尺度で見極めることを不可能にしてしまったとも言える。
 我が国は、島国という孤高な環境にあって、独自の伝統文化が芽生え育まれました。この日本固有の伝統文化に基づく主体性を発揮し、国際社会に反映させることは、今のグローバル化、ボーダレス化して、類似化し、同化していく傾向にある世界に、新風を吹き込むことともなるのである。
 私たちの遠い昔の祖先等、太古の人等の心の集約とも言える日本神話、この日本神話の精神を源として、この国土の孤高な環境の中で芽生え育まれた日本固有の伝統文化、この悠久の伝統文化が継承されていることを、日本人は世界に向って誇りとするべきである。悠久の昔と、現代日本を結合させることによって、日本回帰の気運が高まることが期待される。

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北京五輪アトラクション考 その1

 このつき八日、北京市内の「鳥の巣」と呼ばれる体育場で、中国を代表する映画監督の演出により、中国最古の楽器「缶」に模した打楽器を、人民解放軍兵士2008名が、手で打ち鳴らす大音響、この打楽器の大音響と共に、彼等が打ち鳴らしながら詠唱する古代中国の世界的思想家孔子の一文、「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」の大発生により、北京五輪の幕は切って落された。
 北京五輪の冒頭に、孔子の一文の詠唱、この意外な企ては、中国が誇る悠久の歴史と現代中国を結びつけようとする野心的な企てであるとも言える。
 今の中国は、一党独裁の共産主義体制のままで、資本主義的手法を導入した変則的な国家であるが、かつての中国では、強固な共産主義体制のもとで、中華人民共和国の成立をもって国家の起点とし、過去は悪しき時代として否定、決別した筈である。また孔孟の思想も共産主義の理念に反するとして、1931年の中国共産党の創立に主要な役割を果たした陳独秀らによって否定され、排除されたのである。
 その中国が、悪しき時代と決め付けた過去の時代との結合を図ろうとするのは、演出家の創意か、それとも党の指示か、又は無作為か、定かではない。ただ言えることは、今の中国には、革命前の悠久の過去の時代との結合を図り、その効果により、国家に風格が備わることによって、国家の威信を高めると共に、国民に自信と誇りを抱かせる必要性が生じてきたのである。
 中国共産党が、蒋介石を打倒し、国民党を中国本土から駆逐して、中華人民共和国を成立させ、毛沢東が国家主席となったのが1949年である。この年をもって今の中国は建国されたと言える。建国以来、僅か59年しか経過していない国、歴史的尺度からすれば、世界でも稀にみる軽々な国ということになる。新興国といわれる米国ですら、1776年に独立宣言によって、イギリスの植民地から独立して建国された国であり、232年の歴史、即ち中国の優に4倍の歴史と、それに伴う伝統文化を保有しているのである。
 東側諸国の枠から抜け出して、世界の注目を浴びることとなった今の中国、建国以来、わずか59年の薄っぺらな国では、いくら捏ね回しても、国民の間に自信と誇りは生まれない。また外に向って、大国としての国威を発揚しようとすることも不自然であると感得したのではなかろうか。
 北京五輪のアトラクションが、中国が誇る悠久の歴史と現代中国を結合させて、内では自信と誇りを、外には国の威信を高めようとする企てであるとするならば、真に残念ながら、我が国は中国に大きく先を越されてしまったことになるのである。

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天の警鐘

 5月2日には、大型サイクロンがミャンマーを直撃、続いて、中国四川省の未曾有の大地震、日本国内でも地震が頻発、この自然界の大異変は、地球上に地殻変動が起こる前触れとも、天が人類に警鐘を鳴らしているとも言える。
 ここ1年間に、世界では、石油・食糧の価格高騰に起因する暴動が、30件程発生しているとのことである。米国などが進めるバイオ燃料の生産が、食糧の高騰を増幅させているとみられ、石油に対する暴動と、食糧に対する暴動は、別個のものではなく、相関しているのである。
 本来、食用に供されるべき農作物を、石油の代替の燃料に転化させようとする手法、自然の摂理に反する手法が、天の顰蹙を買ったとも言えるのである。
 神社祭祀における例大祭の祝詞奏上では、五穀豊穣祈願の章句が必ず述べられる。往古より継承される神社祭祀において、五穀豊穣祈願は眼目となっているのである。政府が米の減反政策を推し進める中では、時代錯誤であるとしても、この五穀豊穣祈願の章句が繰り返し、繰り返し奏上されてきたのである。
 今の世界では、食糧の高騰に対する暴動が実際に発生し、食糧危機は現実のものとなってきている。今世紀、人類にとって、五穀豊穣こそが、最大の眼目となってくることとなる。
 大昔の祖先等より継承される五穀豊穣祈願の信仰、この素朴な信仰には、時代を超越した普遍性が備わっていると言えるのである。

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